捨てて捨てて捨てた日

わたしを変えたこと

数年前、あの「人生がときめく片付けの魔法」を読みました。
おそらくテレビ等で紹介されていて「ときめく・ときめかない」で判断していく片付け方法になんとなく興味を持ったのだと思います。
その時期のわたしのことは思い出すとわらってしまうほど、どうしようもない生活をしていました。
だいすきだった(今思うとなんでそんなにすきだったのだろうと思う)彼氏と別れ、その後は手当たり次第に合コンや居酒屋で出会った男性と食事に行ったりデートをしたり、「やけになっている」とはまさにあのことだったのだろうなと思える日々でした(笑)

その頃のわたしは実家暮らしで6畳ほどの自分の部屋がありました。
すでに社会人でしたが、小学生の頃から使っていた学習机にぎりぎりしまい切れているかいないかのたくさんのものを持って暮らしていました。

捨てたい、、、!

本を読み終わってからの感想はずばり「捨てたい!」
週末をすべて捨てることに費やしました。
こんまりさんの紹介している順番を忠実に守り、服から書類から小物から思い出品から、とにかく捨てて捨てて捨てました。
ゴミ袋15袋くらい捨てたと記憶しています あの決して広くない部屋によくそんなにものを持っていたなと思います。

またいつか読むかもしれないしととっていた漫画、もう勉強しないのにとっていた参考書や塾のテキスト、部活をやっていた頃の賞状やメダルやトーナメント表、高校時代のだいすきだった彼氏からの手紙やプレゼント、先輩からもらった第二ボタン(今の若者にもこの文化は残っているのだろうか)、昔使っていた携帯、、、

捨てたのはものよりもものへの執着

みるみるうちに気持ちがすっきりしていったのを覚えています。
なんだかいいことが起こるんじゃないかという期待もありました。
これだけものを捨てたら、この空いたスペースに絶対幸運が訪れる、というなんだかスピリチュアル的な感覚もありました。
わたしはものを捨てながら、ものへの執着を捨てていたのだと思います
すきだった彼の思い出、すきだった彼からすかれていた自分のこと、部活を頑張っていた自分、勉強を頑張っていた自分、それを全部ものを持つこと(捨てないこと)で胸の中に抱えていたのだと思います。
しかし、ものを捨ててもその事実が消えるわけではありません。
それまではどこか「思い出を思い出すためのトリガー」としてものをとっておいていたような気がします。でも今は違います。ものを見なければ思い出せない思い出は忘れてもいいんじゃないかって考えられるようになりました。それよりも今のじぶんの生活にピントをあわせて暮らしたいと感じるようになりました。

捨てた先に待っていたもの

まずは親の離婚です。捨てて捨てて捨てまくるわたしの姿を見て、母は決心したそうです。いろいろありましたが、無事に離婚することができました。
その後、わたしには新しい彼氏ができました。今の夫です。
これでわたしはすっかり「捨てること」に魅了されたように思います。(捨てることを「断捨離」と表現するのは違うと感じていて、あえて「捨てること」と表現しています)

「一気に、短気に、完璧に。」

こんまりさんのやり方にはひとつ大きなポイントがあります。
それは「一気に、短期に、完璧に。」
断捨離というものが一種のブームのようになっていて、「毎日1個ずつものを捨てる」などのやり方で断捨離に向き合っている方もいらっしゃると思います。わたしも今はこまめに捨てることも意識しています。
ただ、やはりあの「一気に、短期に、完璧に」捨てた週末の二日間がわたしの人生に与えた影響はとんでもないものです。
ものを買おうかなと考えるその瞬間には、それを捨てている自分が想像できるのです(笑)それくらい、自分に必要だと思い込んでいたものをたくさん捨てた経験は貴重なものでした。

それから今まで

その後も「わたしのウチには、なんにもない。」を読んだり常に「捨て」のモチベーションを保っています。(ちなみにこの本を読んで“捨て祭り”をしたあと、妊娠がわかりました。人生っておもしろい。)
わたしの中では「断捨離」の「捨」「離」はなかなかレベルアップしてきているのですが、なかなか「断」が難しいです。ものってなんだか増えてしまいます。どこからやってきているのやら…。

これから

これからもすっきりとした暮らしを保てるようにしていきたいです。ブログにはそんな日々のことを綴っていきたいと思っています。
(なんだかかなりの長文になってしまいました。長く書いてしまう癖も捨てたい。)

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人生がときめく片づけの魔法

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