捨てたモノと捨てたいモノ

捨てたモノ

テレビをだらだらと見る時間をスッキリと捨てた
ここでポイントなのは「テレビ」自体はまだ部屋にあるということ

娘はまだ1歳でテレビを見始めたら飽きるまで見たいし
何分見たら終わりね、ご飯食べるからやめようね、というのがなかなか通用しない
テレビが全て悪ということはないけれど(娘も歌やダンスを覚えてノリノリで楽しそうだし)もう少し大きくなってルールを共有出来るようになってからでもいいのかなという気もし始めていた

あとSNSをやめて「なんとなく過ぎていく時間」がなくなったことを実感し、
次はテレビだろうな、、と片付けたい気持ちがフツフツとわいてきていた

ただわたしは元々テレビっ子
まだ見たいドラマもあるし完全に片付けてしまうのはまだちょっと勇気がいる
なのでひとまず「なんとなくテレビをつけて、なんとなくダラダラ見る」ことをやめた

朝のニュースや天気予報はスマホで確認できるし、
見たいドラマがあれば録画して時間が出来た時にそれだけ見ておしまい

娘が起きている時間にテレビをつけることがなくなったので娘からの催促も格段に減った
代わりに体をつかってじゃれあったり、他の遊びに時間を割いたりして、気分もよい

テレビをほとんどつけない生活を始めて2週間くらい
夫婦での会話も増えている気がするしとても快適な毎日になった
このまま続けばテレビも一旦片付けられそうなきがする

捨てたいモノ

「母親を大事にしなければ」という潜在的な気持ち

結婚のときから少しずつ、娘を産んでからは劇的に実母が苦手になった
苦手という表現を選んでしまうのもまだまだ自分の中で「実母を嫌いな娘」という存在を否定したいからなのかもしれない

実母が苦手かもしれないと思い始めると過去の嫌だったできごとがおもしろいくらいに思い出される
普通は「自分も母親になったら母親の気持ちがわかる」のかもしれないけれど
「自分が母親になってみると母親の気持ちがわからなくなる」わたしみたいな層も一定数いると思う

自分が娘にはしたくないこと、しようと思わないこと、してはいけないだろうと思うこと、、そんなことをされた記憶が蘇って、実に不愉快である

私の母親は一言で言えば「過干渉」
連絡が取れないと夫のところに連絡をしてくることもあり本当に疲れている

最近は二人目がもうすぐ産まれることもありなるべく波風を立てないように過ごしていたが
そうするとまた調子に乗るのか距離感を詰めてくるのが私の母親だ

今はまたいろんなことにうんざりして連絡も無視しているところ

二人目出産時は里帰りはもちろんしないし、できれば産み終わってから報告したいくらい
陣痛の時にこられるのはもう勘弁願いたいし、上の子を預けるなんてのもしたくない

こんなことを思うなんて親不孝かな、とちょっとでも思ってしまう自分を捨てるために
考えを改められるような本やブログなどに出会えるといいなと日々模索中

いわゆる毒親・・・の典型パターンでもないような気がするけれど
それでも私にとっては重たくてめんどくさくて憂鬱な存在

そんな気持ちも整理できたらいいなと思う